正体隠匿や交渉系ゲームにある「脅迫的交渉」について~ルールに書かれていない事はなにをしても良いのか
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「ノンオブラートレポート」は、私、aoringoが日々ボードゲームを遊ぶ中でゲームやそのルールについて私的に考えたことをメモ的にまとめた記事群です。なので、極論や断定した文章が多くなります。あくまで個人的な思考であるということを考慮したうえで閲覧していただくとありがたく思います。
タイトルの通りです。
協力系ゲームには「コマンダー問題」といった問題がよく言及されますが、正体隠匿系ゲームや交渉系ゲームには、「脅迫的な交渉」といった問題があると感じます。
「俺○○すげー得意だよ!!」
と聞いて、ではと蓋を開けてみると、うーんと思うことがちょこちょことありましたので、言語化するためにも文章化しておこうかと思いました。
正体隠匿系ゲーム≒協力系ゲーム
本題に移る前に。
正体隠匿系ゲームでは、ゲームの前提として、表面上は協力をしつつ、目標を達成しようとします。人狼なら人狼を見つけ出す、ROOM25ならゴールを探し出して脱出する、といった塩梅です。
そういったゲーム構成上、協力ゲームという側面も出てくると思います。
つまり、正体隠匿系ゲームにもまた、コマンダー問題はついて回ることでしょう。今回の表題である「脅迫的交渉」は、このコマンダー問題の先に存在しているのかなと考えます。
場をコントロールしたいという意図
ゲームは、それぞれのプレイヤーの思惑によって進行します。それぞれのプレイヤーにそれぞれが見据えるゴールがあり、水面下の綱引きによって、ゲームは傾いていきます。
……それをコントロールしていきたい! というのはよくわかるのですが、それを表に強く出しすぎて、他人に要求してしまうのが、この「脅迫的交渉」となります。
具体的な例で言えば、
「AさんはBさん守って、CさんはDさん見て、Bさんが死んだらAさんが裏切り者だから〜」
といったやつ。全員の行動を指定して、それに反したら裏切り者である、という縛り付けるような戦術です。
これを行うと、もはや裏切りもなにもなく、行動が制限されている中で起こせる行動が少なくなり、何もできなくなってしまいます。
ルールによって制限のし辛い「言葉」によるやりとりであるからこそ、どの程度が適正なのか、判断がつきづらいのもまた、よくわかるわけですが。
個人的に驚いたのが、ROOM 25でこれをしようとしたプレイヤーさんが居たことです。
ROOM 25は、正体隠匿ルールで遊べるモードがあります。ラウンドの最初に行動をプログラムにして、自身の手番では事前にプログラムしていた行動しかできない、というゲームルールをしています。
例えば、隣の部屋を覗き見して、移動する、という行動を設定していたら、実際の自分の手番ではこの2つの行動をしなければならない、というもの。
まあ、実際に遊んでみるのが早いでしょう。
ここで、「あなたが隣に移動して、次に部屋を動かして、ここをスキャンして、私が〜」とやりはじめちゃうと、まあ、どうなるのか、わかるというものです。
私は、このゲームなどは「皆、この状況でこの俺たちの位置。あとはわかるよな?」「ああ」「うん」「わかったぜ」………「だー!!」「にゃー!!」「なんでだよ!?」 といった、わちゃわちゃっとしたカオスさが楽しいのかなと思いますので、先の遊び方が、このゲームの意図されたゲームプレイ設計とはちょっと違うかなと考えたりするわけです。
不勉強なのですが、ROOM 25では、どこまでの相談をしても良いのか、どこまで情報を開示して良いのか、どこまで相手の行動をしてもよいのか、といった文言はなかったように感じます。
まあ、ここらへんは「わざわざ文言化しなくてもわかるよね?」という部分でもあるでしょう。
正体隠匿系における推理要素はとても楽しいゲーム要素の1つではありますが、それの行き過ぎにより、他人の縛り付けにまで発展するのは、すこし「うーん」と思ってしまう私です。
そこに他プレイヤーさんは必要なのか。他人の行動を縛り、そこから答えを特定していく行為は、もはや推理と呼べるのか。
考えていきたいところですね。
どこまで口に出すのか、どこまでやりとりをするのか……。それぞれの推量で答えは出すしかありませんが、そこに「他プレイヤー」がいることを、私は願います。
交渉系ゲームにおける脅迫的行動
これもまた、なんとも難しい問題です。
交渉要素、特にゲーム内リソースを自由にやりとりしあうタイプのゲームは、ゲームルール以外の部分でプレイヤー同士によるインタラクションが発生する、とても楽しいゲームメカニクスとなっております。
イントリーゲなどは、この交渉要素にスポットがあたり、非常にひりつくゲームとなっておるでしょう。このゲーム、別名「友情破壊ゲーム」と言われております。なぜそう言われているのかは、是非とも自分で遊んでみて確かめてみてほしいなと思います!
他にも、チャイナタウン、ジェノバの商人、カタン、名作と言われるゲームにも、こういったゲーム内リソースをやりとりするゲームはままあります。
そしてまあ、ゲームに熱中してくると、自分にとって有利な展開のために、やりすぎてしまうということもあるかもしれません。
とはいえ、「あなたがそれをすると、私の勝ちがなくなってしまうので、二位の人にすべてのリソースを渡しちゃうよ」といったものは、最早交渉ではなく、ただの脅迫でしかないと、私は考えるわけですが、どうでしょう。
こういった人がいるわけはない、と思う人がいるかもしれませんが、まあ、実際にいるんですよね。
「ルールに書かれていない事はしても良いのか」
こういった問題が出てくると、どうしてもついて回るのが「ルールに記述されているかどうか」という焦点ですね。
とはいえ、ルールブックに割ける文字数というのは、以外なほど少なく、長いルールブックは誰も読まないものです。
ボードゲームは、どうしても人と人とでやりとりをするという遊びです。行動する前に、それが相手に与える影響を、常に頭の片隅にも置いておくと良いかなと思います。いや、ほんとうに。
それが例え、競技性の高いゲームであったとしても、そのゲームを好きになってもらうために、もっと言えば、ボードゲームというジャンルを楽しいと思ってもらうために、どういう風にゲームを持っていくのか。
その場その場に合わせて、どこまで攻めていくのか、調整していけるとよいですね。
その後に残るもの
なぜわざわざ記事にまでするのか。
何度も言うようですが、ボードゲームは人と人とが関わるものです。人がいないと成り立ちません。
遊んでいる対面の人が、また次も遊んでもらえるのか。
これは、「ゲームが面白いかどうか」「ゲームに勝つかどうか」といったものも大切かもしれませんが、「一緒に遊んで楽しいか」というのがすごく大切だと感じるわけです。
今回遊んだ人と、次もまた、一緒に遊んでもらえるように。
あの人と遊ぶのはちょっと、となるのはとても悲しいことですね。
もっといえば、ボードゲームってなんか怖い、となるのは最悪かなと思います。
勝ち、負けももちろん大切ですが、それと同じレベルで考えていくこともあるのかなと思います。