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「人狼」は推理ゲームじゃない。信用とコミュニケーション、そして本質はサプライズのゲームだと気づいた話

      2018/05/21

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※コラムに書いていましたが、人狼についてのノンオブラートレポートとしてカテゴリを移動しました。

私にはボードゲームをある程度、遊んできて、ずっと理解できないゲームが一つだけありました。それが「人狼」です。様々なバリエーションが出ていて、ゲームマーケットでも色々なアレンジをされた人狼が発売されています。

人狼は正体隠匿系のコミュニケーションゲーム。ゲームの始めに役割カードが配られます。人狼とか村人とか占い師とかとか。人狼は毎夜住民を殺していく。参加者はどうにか人狼を見つけ出し、全員で投票して誰か一人を昼に殺す。ここで人狼を釣ることが出来れば万々歳。けれどもそうじゃなければまた今夜、誰かが殺される。そんなドキドキ感が楽しいゲーム・・・だと聞いています。

つまり村人側の目標は人狼を見つけ出すことなわけで、だとするとこのゲームは推理ゲームなのだなと私は思っていたわけです。けれども推理ゲームとして見ると人狼は破綻しています。まず、ゲーム中に出るヒントが極端に少なく、そして信用できません。そもそも正体を隠匿しているわけですから、誰の言葉を信用していいのかわかりませんし、そうこうしている間に人がどんどん消えていく。さらにはゲームが始まって二分で全員投票して参加者の誰かを吊らなくてはならない。・・・なんじゃそりゃ? なわけです。

死んだ人が人狼側ではないというのはすぐにわかりますが、その後の会話も基本的に平行線を辿ります。ゲームシステムとして、人狼を割り出す要素がないのと、話合いの時間は基本的に一分~三分と制限されているため明らかに時間が短いのです。そんな時間にノイズの多い情報から人狼を探すのは難しい。

・・・いや、もっともっと根本的な問題が人狼にはあります。

それはコミュニケーションゲームという部分。人狼は大前提としてコミュニケーションゲームなわけです。つまり喋る必要があります。けれども、人狼には喋らない人が来ます。ニコニコ笑いながら、「誰が人狼なんだろー」って感じでいるんだけれど、話合いにはまったく参加せずまわりを見ている。

喋らないわけですから、凄く怪しい。けれども逆に喋らないからこそ、投票を差し向ける事も難しい。ヒントがないわけですから、メンバーの照準からも外れやすい。

そんなわけで、人狼を推理ゲームとして見ると、「喋らない人」「推理しない人」というのはつまりゲームに参加していないわけで、ただのノイズであり、そういう状況になると「ゲームとして成立しなくなる」わけです。本当にこれが人狼なのだろうか。喋りもしない、推理もしない人というのは、このゲームに参加しているとは言えないのか。ただのノイズであり、推理を邪魔する存在でしかないのではないか。

そして、だからこそ人狼はゲームとして成り立たせるために実は凄くハードルが高く、難しく、楽しいゲームにするためには全員の認識をまずきちんとすりあわせる必要がある。

なのにみんなこのゲームを面白いと言う。みんな人狼のどこに面白さを見いだしているのだろう。推理できない推理ゲーム、喋らなくても楽しいという人は人狼に何をもとめているのか。

私の人狼への認識がそもそも間違っていた

上の文章は、今までの私の人狼に対する認識でした。私は人狼をずっと推理ゲーム、論理的に今までの事柄を組み立て、一手一手から人狼を探り出すゲームだと認識していました。けれどもこれは完璧に間違いでした。いや、正確には推理ゲームであり、コミュニケーションゲームでもありますが、人狼の本質は「サプライズ」のゲームなのだという考えに至ったのです。

人狼の本当の楽しさは全ての答えがわかったときの「サプライズ」にあります。「うおー! お前が人狼だったのかー!!」という最後の盛り上がり。その一点を組み上げるために人狼というゲームが存在します。だから推理の難易度がはるかに高くあるのです。

だから、コミュニケーションをしない人、推理をしない人というのは正しく人狼の楽しさを理解し、このサプライズを味わうためにゲームに参加しているのです。

「私は人狼だよードキドキ」という感じで静かにしておき、吊られたら残念。吊られなかったらラッキーくらいのつもりでいます。そしてそれで正解なわけです。

人狼を推理ゲームとして見ると、一手一手が凄く重要になります。一つでも手を間違うと一気に答えが見えなくなる。そして推理しない・喋らない人というのはいたずらにノイズを加え、一気に難易度を引き上げる要因、というよりもゲームを成り立たせなくなるための存在です。ハードルがすごく高くなる。

けれども人狼をサプライズのゲームとして見ると、なるほど、一気にハードルは下がり、カジュアルなおしゃべりパーティーゲームになるのです。

これか! と思いました。ちまたで人狼が遊ばれ、楽しまれている理由はこれなのです。

お酒でも飲んでグダグダ世間話をしながらも、推理ごっこみたいな事をしつつも和気あいあいとやる。それが人狼の楽しみかたなのですよ。

人狼を推理ゲームとしてやるととても気疲れするゲームになります。「あの時なんでお前はこう言ったのか」「二手前のお前はなぜ彼をさしたのか」なんて尋問みたいに一つ一つを論理的に組み上げられても、なんか嫌な気分になりますし、大抵の人は人狼にそれを求めているわけではないので「そんな前の事は覚えてないよ。なんとなくじゃない?」で終わってしまうわけです。むしろ「そんな事言って、自分が人狼じゃないって、場をしきって信用を勝ちとろうとしてるだけなんじゃないの? さっきもそうやって~」と切り替えされたら終わりです。

人狼は簡単に推理が感情に押し負けます。なぜなら参加者はサプライズを求めているからです。「あいつが実は人狼だった!!」という驚きを求めているわけですから、論理立てた答えを出した本人が人狼かも! という誘惑の方が大きくなってしまう。

もちろん、真剣に人狼を推理ゲームとして遊ぶという人達もいるでしょう。しかし残念ながら私はこれまでの数十回の人狼できちんと推理が出来た人狼はなかったのです。どんなに論理立てようとしても「うーんそうなの? なんとなく信用できなーい」という理由で吊られてしまうわけです。

人狼は懐が広いゲームです。きちんと論理的に物事を組み立てる人があつまれば、推理と論理のゲームになります。ただ、ゲーム会やイベントでは、ほぼそうなることはありません。様々な人がいて、そのノイズの中で推理をするのは本当に難しい。

例えば人狼だけをメインで遊ぶ面子、人狼をメインにしたイベント、人狼を数十回遊んだことがある面子、1日に複数回人狼を遊ぶ時、ゲーム毎の感情を0にリセットできる面子、などで人狼を遊べるのならば、人狼は推理ゲームとして機能するかと思います。少なくとも私はハードルが高いなあと思うわけです。

そして先述したように人狼は信用のゲームですから、信用されない人は初手から「とりあえず吊られる」「なんか怖いから吊る」ことがあるわけです。それが良い悪いかは別として、論理立てて考える人をとりあえず排除して、自分達でわけわからない状態にして最後の答え合わせ、サプライズの場面に備えるという流れが人狼にはまれにあるような気がします。

ようやく積年のもやもやが晴れた気分です。人狼は信用とコミュニケーションとサプライズのゲームなのです。そこにちょっとした推理ヒントが加わり、会話が楽しく盛り上がる。そんなカジュアルなパーティーゲームなのです。

正体隠匿系のゲームは様々な物があります。けれどもそれら一つ一つをヒモ解いて行くと、ゲーム中に答えがわかるもの、選択肢を選び相談が禁止されているもの、誰も中途脱落せずにヒントが少しずつ出ていく物など。本当にバリエーションに跳んでいる事に気づかされます。

もっときちんと一つ一つのゲームに向き合い、楽しさを発見していけたらなあと思います。

とりあえず次に人狼を遊ぶ時は、頭を空っぽにして会話を楽しむようにしようと感じた次第であります。人狼の中途脱落が単純に嫌い、という人はその弱点を解消した「レジスタンス」という正体隠匿系コミュニケーションゲームもオススメです。

ホビージャパン

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レビューもあります。
中途脱落がない正体隠匿ボードゲーム「レジスタンス:アヴァロン(Resistance, The – Avalon)」レビューと感想|Board game every day

レジスタンスも人狼と同じく会話と信用とサプライズのゲームです。中途脱落もなく、進行役も必要のないゲームですので人狼にあきてきたり、人微妙に足りないことが多いっていう方はどうぞ。こちらもまた面白いゲームだと思います。


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